1年のおもな行事としては、元旦会(修正会ともいいます)、報恩講(御正忌)、春秋の彼岸会、宗祖降誕会、盂蘭盆会(盆会または歓喜会ともいいます)があります。また、真宗寺院のすべてにおいて行われているわけではありませんが、その他の年中行事に、春秋の永代経法要、花まつり、成道会、除夜会などがあります。
■元旦会
一月一日に行われます。新年を迎えたことを祝うとともに、念仏の教えをよろこぶ報恩生活における一年のはじめの法要です。
■報恩講(御正忌)
宗祖親鸞聖人の忌日を中心に行われるもので、報恩講とも御正忌ともいい、真宗におけるもっとも大切な行事です。一般の真宗寺院では、本山よりとりこして行うので、「お取こし」「お引きあげ」とも呼んでいます。真宗信者の各家庭でも「お取こりし」がつとめられ、これは真宗門徒のしるしとなっています。宗祖の遺徳をたたえ、それを機縁として聞法し、如来のお慈悲に生かされていることを感謝するという報恩謝徳の行事ですから、もっとも盛大に行われるのです。
■春秋の彼岸会
春分と秋分を中心とする春秋の彼岸に行われる法要です。彼岸とは悟りの世界を指します。一年中で最もよい季節ですから、仏法聴聞の絶好の機会です。
■宗祖降誕会
宗祖親鸞聖人の誕生日である5月21日前後に行われる行事です。近年、各寺で盛んに行われるようになってきましたが、ご本願の心を聞くことが出来たのも宗祖誕生(降誕)のお陰である、とその意味をよく踏まえ、お祝いをしましょう。
■蘭盆会(歓喜会)
お盆に行われるもので、目連尊者の故事にならった行事です。しかし、浄土真宗では、報恩感謝の心をもって亡くなった人を追慕、縁あるものが揃って教えを聞くことが大事です。一般に亡くなった人の供養をする日と考えられているのですが、報恩の心をもって仏法を聴聞する行事とすることが大事です。
その他の行事のうち、永代経法要とは、なくなった人を機縁として、行われる法要で、期日は一定していません。永代経といっても追善供養の法要ではありません。故人を追慕しながら聞法の場がのちのちまでつづくようにという願いを持った法要と考えるべきです。
★寶林山 正福寺においては年間20日程度各種法要をおつとめしています。さらには、毎月16日の宗祖のご命日の日に常例法座をおつとめしています。どなたでも参加できます。お誘いあわせのうえお参りください。
【参考文献 真宗がわかる20のQ&A 瓜生津 隆真 師 探究社刊】
仏事とは仏教行事あるいは仏教儀礼ということで、法要ともいっています。
わが国では、仏事というと、死者の冥福を祈り、仏を供養し、僧侶に施しをすることであると考えられてきました。江戸時代以降は、もっぱら死者のための年回法要が中心となり、そのために死者の追善のための行事と考えられるようになりました。
しかし、浄土真宗では、親鸞聖人自身が「亡き父母の追善のために一ぺんも念仏と称えたことはない」といわれているように、仏事は追善供養ではありません。
年回法要は、個人を偲び、それを勝縁として仏法を聴聞し、仏恩に感謝する行事として行われるものです。したがって、仏事は仏徳を讃嘆し、仏法を聞き、仏恩に感謝するものであって、この心構えを持って行うことが大切です。
かつては、各家庭でも「お取こし」(報恩講)がつとめられ、なかには講師を招いて、家庭法座を開く家もありました。現在では、家庭での仏事は年回法要が中心になっていますが、このときは仏壇をきれいに掃除し、仏具を磨き、花をとりかえ、打敷をかけ、供物を供えます。
お香はできるだけよいかおりのするものを用います。「おつとめ」は仏法聴聞としてうけとめて読経中は静かに座り、できれば唱和しましょう。法話はしっかり聴聞し、その後で食事(お斎)をいただきます。料理は原則として精進ものにします。
大切なのは仏事は常に仏法を聴聞し讃嘆する場であるとうけとめることです。飲み食いだけに終わってはもったいないことです。
【参考文献 真宗がわかる20のQ&A 瓜生津 隆真 師 探究社刊】
位牌とは、家族の中で亡くなった人の法名または戒名、院号、俗名、死亡年月日などを書いたものを仏壇に安置しているものです。
もともと、中国において儒教の人々が用いていたもので、亡き人の生前の官位姓名を書いた牌でしたが、それが仏教徒にも取り入れられて用いるようになりました。
浄土真宗においては、僧俗の区別なく、老若男女をえらぶことなく、また地位の有無に関わらず阿弥陀如来の本願を信じて念仏するとき、みなひとしく救われるのですから、位牌を用いません。
法名を掛け軸にしたもの(法名軸という)か、折本式になった過去帳を用います。過去帳には、法名・俗名・死亡年月日などを記入しておきます。法名軸も過去帳も礼拝の対象ではありませんから、仏壇の中央には安置しません。なぜなら、礼拝の対象であるご本尊は阿弥陀如来さまであって、本尊を礼拝することが、すべての浄土に生まれた方にお礼することになるからです。
このように浄土真宗では、位牌を用いる必要がないのですが、現実には繰り出し位牌といって、法名の書いた何枚かの薄い板を繰り出すように作られたものを仏壇においてある場合も多いようです。これは、過去帳に代わるものと考えたらいいでしょう。
しかし、命日のときは、過去帳を用意し、その人の部分を開いて仏壇の中央を避け下部に安置します。繰り出しの場合は、命日にあたる人の分を、一番前に繰り出しておきます。
過去帳は家族で亡くなられた方の記録簿であって、亡くなった方の命日は、故人をまつる日ではなく、故人を偲びながら仏縁に遇う日と受け止めて、み教えを聞き味あう日としたいものです。
【参考文献 真宗がわかる20のQ&A 瓜生津 隆真 師 探究社刊】
念珠は一般に珠数といわれています。珠数とか念珠とかという名称は、念仏を称えるとき、手にかけて珠の数を数えることから出たようです。
珠数を用いること自体は、インドかにさかのぼり、バラモン教の風習に習って仏教にも取り入れられたといわれています。
中国においては、隋・唐の頃から称名の数を数える道具として用いられ、その後、密教の儀礼において密教僧が用いていましたが、やがて、広く一般に用いられることになり、ついに仏教徒の標幟(ひょうし)となったのです。
浄土宗では日課念珠として二連数珠を用い、合掌のとき両手の親指にかけ、合掌しないときは左腕にかけます。
浄土真宗では、仏前にお参りして称名念仏するときには必ず念珠をかけます。通常は一連の数珠を用い、合掌した手にかけて、両親指でかるく押さえます。礼拝以外のときは、左手首にかけるか、あるいは左手にもちます。合掌のとき手にかけますが、珠をくって念仏の数を数えることはしません。
すでに蓮如上人は【御文章第二帖第五通・注釈版聖典1116頁】に
“念珠もたずに仏に参ることは如来を手づかみにすることである”と厳しく戒めています。
『実悟記』には「蓮如上人も御持候ときは御くり候ぞかし。」とあって称名記数の例はありませんが、数珠をくられたことはあったそうです。しかしいまはこれを行いません。
なお、念珠は仏事や葬儀のときのみ用いるものと考えている人が多いようですが、浄土真宗の信者は、常に合掌の心をもって日々の生活をするのですから、ねんじゅはそのしるしとして、毎日の「お勤め」のときはもちろんのこと、つねにもっているべきものです。
【参考文献 真宗がわかる20のQ&A 瓜生津 隆真 師 探究社刊】
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